団体
ZEレコード
ZE Records
ZEレコード は、アメリカ合衆国ニューヨーク州のレコードレーベル。1978年にマイケル・ジルカ とマイケル・エステバン によって設立された。1986年から活動を休止していたが、エステバンによって2003年にレーベル活動が再開された。
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ZEレコード は、アメリカ合衆国ニューヨーク州のレコードレーベル。1978年にマイケル・ジルカ とマイケル・エステバン によって設立された。1986年から活動を休止していたが、エステバンによって2003年にレーベル活動が再開された。
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この項目から調査するZEレコード(ズィーイー・レコード、ZE Records、ZE)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州のレコードレーベル。1978年にマイケル・ジルカ (en) とマイケル・エステバン(en)によって設立された。1986年から活動を休止していたが、エステバンによって2003年にレーベル活動が再開された。
ZEレコード は、アメリカ合衆国ニューヨーク州のレコードレーベル。1978年にマイケル・ジルカ とマイケル・エステバン によって設立された。1986年から活動を休止していたが、エステバンによって2003年にレーベル活動が再開された。
ZEレコード(ズィーイー・レコード、ZE Records、ZE)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州のレコードレーベル。1978年にマイケル・ジルカ (en) とマイケル・エステバン(en)によって設立された。1986年から活動を休止していたが、エステバンによって2003年にレーベル活動が再開された。
創立者の一人、マイケル・ジルカ (1954年 - ) は、イラク系の裕福な家系に生まれた。生まれはイギリスで、イギリスのマタニティ、ベビー用品チェーンであるマザーケア (en) のオーナーの息子である。オックスフォード大学を卒業。1970年代中頃に、ジルカはニューヨークの出版社に勤め、音楽雑誌『Village Voice』で映画評論家として活躍していた。
もう一人の創立者マイケル・エステバン (1951年 - ) は、パリで美術を学んだ後、ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツで学んだ。その後、1975年にパリに戻って、アメリカやイギリスの最新のロック・ミュージックに特化した小売店を立ち上げた。その店の地下はすぐに、パリ在住のニュー・ウェイヴ・バンドのリハーサル・スペースとなった。1975年から1976年の間に、エステバンはロンドンやニューヨーク、パリのパンク・ロック・ムーブメントの情報をカバーした『Rock News』誌を刊行。1977年には、パティ・スミスの書籍『Witt』『The Night』や、フランスの歌手リジー・メルシエ・デクルー(en)の最初の書籍『Desiderata』を発行した。
同じく1977年に、エステバンはフランスのニュー・ウェイヴ・バンド、マリー・エ・レ・ギャルソンズ (en) と契約を結び、ジョン・ケイルにプロデュースを依頼した(なおケイルは、のちにエステバンがパティ・スミスと知り合うきっかけを作った)。ケイルはシングル「Re Bop」をプロデュースし、のちにケイルがSPYレコード (en) を立ち上げた時には、エステバンにアシストを依頼した。またケイルは、エステバンにジルカを紹介した。なおSPYレコードからは、ケイルのプロデュースしたハリー・トレドやレスター・バングス (en) ボブ・ニューワース (en) らの音源がリリースされている。
ジルカとエステバンはしばらくしてSPYレコードから離れ、パンク・ロックやディスコ、ニュー・ウェイヴの音源をリリースする独自のレーベルを立ち上げる準備を始めた。レーベル名は、それぞれの苗字(Zilkha, Esteban)から一文字ずつとってZEレコードと名付けた。ZEレコードからは、のちにノー・ウェイヴとカテゴライズされるジャンルの音楽が数多くリリースされた(ジャンル名については、初期のコンピレーション・シリーズのタイトルを取って「ミュータント・ディスコ」と呼ばれることもある)。またエステバンの当時の彼女であったアナ・ウィンターの友人には、アイランド・レコードの創立者であるクリス・ブラックウェルがいたため、ZEレコードはアイランド・レコードとライセンス契約を結ぶことができ、世界中にZEレコードの名が知られることとなった。
短期間のうちにZEレコードは流行りのレーベルのひとつとなり、ジェームス・チャンス(en)や、ウォズ (ノット・ウォズ)、キッド・クレオール&ザ・ココナッツ、リディア・ランチ、リジー・メルシエ・デクルーなど多くのアーティストを擁し、ジョン・ケイルやスーサイドなど名声を獲得したアーティストもいた。リリースされた音源の多くは、当時アメリカ合衆国に存在したディスコであるパラダイス・ガレージで初演された。
ZEレコードは1981年から1982年にかけて特に成功を収め、音楽界などへの影響力もピークに達していた。しかし、ジルカがレーベルアーティストの一人、クリスティーナと結婚し、そのことがレーベル・イメージや音楽ビジネス上好ましくないと懸念したエステバンとジルカとの間に、問題が生じ始めた。そして1982年にエステバンはニューヨークを離れ、ジルカはその後もレーベル活動を続けたが、次第に音楽ビジネスに感心を失い、またクリスティーナと離婚したこともあって、2年後の1984年にレーベル活動を休止し、父親が経営する石油会社に入社し、その会社の共同所有者となっている。
レーベル休止後も、エステバンはリジー・メルシエ・デクルーやリオなどのアーティストと交流を続けた。そして2003年に、エステバンはフランスでZEレコードを再開させ、グラスゴーのバンドであるマイケル・ドラキュラなどの新たなアーティストの音源をリリースしたり、過去の作品を復刻して再発するなどしている。2006年に、エステバンはブラジルのサルヴァドールに移り住み、主にそこで音楽活動や現代芸術のプロジェクトなどを進めている。
2010年からは、過去の音源などの多くをデジタル配信によって販売している。
ZEレコードは独自のシュルレアリスム的美学を発展させていった。その音楽性は各方面に影響を与え、BBCのDJであったジョン・ピールは、1980年の『Melody Maker』(en) 誌上でZEレコードを「世界一のインディペンデント系レコード・レーベル」と評した。1982年には、ポール・ティッケルが『The Face』(en) 誌で、ZEレコードを「世界で最も人気のあるレーベル」と表現した。また英「ガーディアン」紙では、設立30周年の際に「ZEレコードはおとぎ話のようなものだった」と題した記事を掲載した。
このような一連の評価について、これほど大きな影響を与えられると思っていなかったジルカは、当時非常に驚いていたという。
出典: ZEレコード (CC BY-SA)
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