人物1896
トミー・ジョンソン
Tommy Johnson
トミー・ジョンソン は、アメリカ合衆国のデルタ・ブルースのミュージシャンである。ぞっとさせるようなファルセットの歌声と、複雑なギター・プレイを特徴とする。
人物1896
Tommy Johnson
トミー・ジョンソン は、アメリカ合衆国のデルタ・ブルースのミュージシャンである。ぞっとさせるようなファルセットの歌声と、複雑なギター・プレイを特徴とする。
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この項目から調査するトミー・ジョンソン(Tommy Johnson、1896年1月 - 1956年11月1日)は、アメリカ合衆国のデルタ・ブルースのミュージシャンである。ぞっとさせるようなファルセットの歌声と、複雑なギター・プレイを特徴とする。
トミー・ジョンソン は、アメリカ合衆国のデルタ・ブルースのミュージシャンである。ぞっとさせるようなファルセットの歌声と、複雑なギター・プレイを特徴とする。
ジョンソンは1896年1月にミシシッピ州テリー近郊に生まれ、1910年頃にその後の人生の大半を過ごすクリスタルスプリングスへ移住した。
彼はギターを習得し、1914年には二人の兄弟たちメイジャーとレデルと共に地元のパーティーで演奏し、収入の足しにするようになっていた。1916年にジョンソンは結婚し、ドッケリーファームに程近いドリューに移住した。そこで彼はチャーリー・パットン、ウィリー・ブラウンら他のミュージシャンたちと出会うこととなった。
1920年までに、ジョンソンはクリスタルスプリングスを拠点としながら南部を幅広く旅をするミュージシャンとなっていた。ときにパパ・チャーリー・マッコイが彼をサポートすることもあった。1928年に彼はマッコイと共にビクター・レコードで初のレコーディング・セッションを行ない、「Canned Heat Blues」を含む楽曲を録音した。この曲は料理に使用する携帯燃料ブランド、ステルノのメタノールを飲むことを歌っている。「缶に入った熱が俺を死に追いやるんだ」とのリフレインを聴くことができる。ブルース・バンドのキャンド・ヒートはこの曲からバンド名を命名している。ジョンソンの楽曲「Big Road Blues」はキャンド・ヒートの「On The Road Again」のインスピレーションとなった。この曲の大きく異なるバージョンがK.C.ダグラスのアルバム『Big Road Blues』に「Canned Heat」とのタイトルで収録されている。
ジョンソンは更に2回、1928年8月にビクターのセッションを行ない、1929年12月にはパラマウント・レコードのセッションを行なっている。彼は録音する権利を放棄してしまったとの誤解から、その後は録音を一切行わなかった。パラマウント・レコードの関係者が意図的に彼にこのような誤解を与えたのではないかとの見解も存在する。
ミシシッピ・シークスは、ジョンソンの「Big Road Blues」の旋律を「Stop And Listen」で使用しヒットとなったが、これについてはジョンソンとの間で法的な和解が成立している。ジョンソンは和解の当事者であったものの、泥酔していて内容を理解しないまま和解に応じたという。
ジョンソンの残したレコーディングにおける、うなり声からファルセットまで表現する強力な歌声によって、彼はこの時代のデルタ・ブルース・ボーカリストの第一人者としての知られることとなった。彼は腕の立つギタリストでもあった。また、彼はギターを弾く際に脚の間で弾いたり、プレイ中にギターを空中に放り投げるなど、曲芸的なパフォーマンスも行なっている。
彼のスタイルは、ロバート・ナイトホーク、ハウリン・ウルフなど、多くの後世のブルース歌手たちに影響を与えた。ウルフの楽曲「I Asked For Water (She Brought Me Gasoline)」はジョンソンの「Cool Drink Of Water Blues」がベースとなっている。ジョンソンは才能豊かな作曲家でもあり、民謡の詩の断片と個人的な歌詞と融合させてギターの伴奏を付け、「Maggie Campbell Blues」など、印象に残るブルースの楽曲を作り上げた。
ジョンソンは、自身の名声を高めるため、悪役的な人物像を自ら作り上げた。彼の弟レデルによると、彼はギターの腕前を手に入れることと引き換えに十字路で悪魔に魂を売ったと主張していた。この話は、後にロバート・ジョンソンについても同様の話が語られるようになったが、トミー・ジョンソンは彼とは血縁関係はない。
ジョンソンはジャクソン界隈において1930年代から40年代にかけて人気の演奏者であり続け、ときにイッシュマン・ブレイシーとも演奏をした。彼は、他の演奏者たちに影響を与える存在であったが、これには彼が自身のスタイルと楽曲を積極的に他者に教えたことも影響している。彼が地元の伝統に与えた影響についてはデイヴィッド・エヴァンズの著書「Tommy Johnson」(1971年)および「Big Road Blues: Tradition And Creativity In The Folk Blues」(1982年)に記されている。
ジョンソンは、1956年11月1日、地元クリスタルスプリングスのパーティーでの演奏後、心臓発作のため死去した。彼はクリスタルスプリングス郊外のウォーム・スプリングス・メソジスト教会墓地にに埋葬された。
2000年4月、ジョンソンの家族は、マウント・ザイオン・メモリアル・ファンドが手配した墓石をジョンソンの墓に設置することを許可した。同ファンドは1989年から歴史的なアフリカ系アメリカ人墓地の保存活動を行なうミシシッピ州の非営利団体である。墓石の建設資金は、ミュージシャンのボニー・レイットの支援によって賄われた。花崗岩の大きな墓石にはジョンソンの肖像と、家族の希望によりジョンソンのいくつかの最も知られた楽曲名が彫られ、2001年10月にクリスタルスプリングスで除幕された。
しかしながら、その後10年にも渡りこの墓石が実際にジョンソンの墓に設置されることはなかった。これはジョンソンの姪ヴェラ・ジョンソン・コリンズが代表を務める彼の家族と、墓地を取り囲む農地の地主たち、コピア郡監督委員会との間で、ジョンソンの埋葬地へ続く劣化した道路の扱いについて紛争があったためであった。これは、ミシシッピ大学の研究者T.D.ムーアによる調査活動が大きな役割を果たし、2012年10月に解決した。そして、その年の10月26日に墓石が設置されることが発表されている。墓石は2001年10月20日に除幕されて以降クリスタルスプリングス公共図書館で一般公開されていた。
2013年2月2日土曜日の夜、墓石は落下して損傷した。この損傷については、固定が不十分であったのか、押し倒されたのか、あるいは故意に破損させられたのかについては議論の余地があるが結論はでていない。
例年10月の第3週末にクリスタルスプリングスでは、トミー・ジョンソン・ブルース・フェスティバルが開催されている。最初のフェスティバルは2006年、ジャクソンとクリスタルスプリングスで開催された。
映画「オー・ブラザー!」(2000年)には、クリス・トーマス・キング演じるトミー・ジョンソンという名の人物が登場し、悪魔に魂を売りギターの腕を身に着けたとすると語る。
映画に登場するトミー・ジョンソンというキャラクターは、ブルース・ミュージシャンのスキップ・ジェイムズがオリジナルのレコーディングを行なった楽曲を演奏し、映画のメインの登場人物3人とジョンソンで構成されるバンド、ソギー・ボトム・ボーイズと共に「Man Of Constant Sorrow」を歌っている。
ジョンソンが悪魔に魂を売ったという話を最初に語ったのは弟のレデル・ジョンソンであり、デイヴィッド・エヴァンズが1971年に出版したジョンソンの評伝「Tommy Johnson」の中で紹介された。この伝説はその後ロバート・ジョンソンに関する話としても広まっている。
出典: トミー・ジョンソン (CC BY-SA)
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