項目
言語聴覚士
speech and language therapist
言語聴覚士 は、言語や聴覚、音声、呼吸、認知、発達、摂食・嚥下に関わる障害に対して、その発現メカニズムを明らかにし、検査と評価を実施し、必要に応じて訓練や指導、支援などを行う名称独占資格の専門職である。医療機関のほか、保健施設、福祉施設、教育機関などで活動している。
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言語聴覚士 は、言語や聴覚、音声、呼吸、認知、発達、摂食・嚥下に関わる障害に対して、その発現メカニズムを明らかにし、検査と評価を実施し、必要に応じて訓練や指導、支援などを行う名称独占資格の専門職である。医療機関のほか、保健施設、福祉施設、教育機関などで活動している。
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この項目から調査する言語聴覚士(げんごちょうかくし、英: Speech-Language-Hearing Therapist、略称: ST)は、言語や聴覚、音声、呼吸、認知、発達、摂食・嚥下に関わる障害に対して、その発現メカニズムを明らかにし、検査と評価を実施し、必要に応じて訓練や指導、支援などを行う名称独占資格の専門職である。医療機関のほか、保健施設、福祉施設、教育機関などで活動している。 医療機関では、医療従事者(コ・メディカルスタッフ)の一員として、理学療法士 (PT)、作業療法士 (OT)、視能訓練士 (CO) と共に、リハビリテーション専門職を構成する。例えばアメリカでは、オーディオロジスト(聴覚療法師)とスピーチ・ランゲージ・パソロジスト(言語療法士)に分かれており、アメリカでの資格取得には大学院修士課程以上(聴覚療法士については博士課程)の教育歴を要する。
言語聴覚士 は、言語や聴覚、音声、呼吸、認知、発達、摂食・嚥下に関わる障害に対して、その発現メカニズムを明らかにし、検査と評価を実施し、必要に応じて訓練や指導、支援などを行う名称独占資格の専門職である。医療機関のほか、保健施設、福祉施設、教育機関などで活動している。
言語聴覚士(げんごちょうかくし、英: Speech-Language-Hearing Therapist、略称: ST)は、言語や聴覚、音声、呼吸、認知、発達、摂食・嚥下に関わる障害に対して、その発現メカニズムを明らかにし、検査と評価を実施し、必要に応じて訓練や指導、支援などを行う名称独占資格の専門職である。医療機関のほか、保健施設、福祉施設、教育機関などで活動している。
医療機関では、医療従事者(コ・メディカルスタッフ)の一員として、理学療法士 (PT)、作業療法士 (OT)、視能訓練士 (CO) と共に、リハビリテーション専門職を構成する。例えばアメリカでは、オーディオロジスト(聴覚療法師)とスピーチ・ランゲージ・パソロジスト(言語療法士)に分かれており、アメリカでの資格取得には大学院修士課程以上(聴覚療法士については博士課程)の教育歴を要する。
日本においては、1997年に制定された言語聴覚士法第2条において、言語聴覚士は「厚生労働大臣の免許を受けて、言語聴覚士の名称を用いて、音声機能、言語機能又は聴覚に障害のある者についてその機能の維持向上を図るため、言語訓練その他の訓練、これに必要な検査及び助言、指導その他の援助を行うことを業とする者」として定義されている。
言語聴覚士の職務は医療にとどまらず、福祉や教育にもまたがっているため、その法律上の定義は理学療法士や作業療法士とは異なる。ただし、診療の補助として行う身体に危害を及ぼすおそれのある行為については、言語聴覚士法第42条に基づき、医師または歯科医師の指示の下に行うものとされている。具体的には、嚥下訓練、人工内耳の調整その他厚生労働省令で定める行為がこれに該当する。この「その他厚生労働省令で定める行為」には、他動運動や抵抗運動を伴うもの、または薬剤や器具を使用する音声機能および言語機能に係る検査および訓練が含まれる。
「言語」によって人間関係や社会関係が作られている以上、人類の歴史とともに言語聴覚障害もあったといえる。失語症と思われる症例の記述は、古代エジプトのパピルスや古代ギリシャのヒポクラテス集典に認められる。
言語聴覚に対する訓練の歴史は、古代ローマに遡る。ローマの医師、アルキゲネスは、耳の訓練のために、チューブを通して大きな音を耳に伝えようとしていた。ルネサンス期になると、主にスペインを中心として、聴覚障害を有する貴族の弟者への教育が行われるようになった。
学校教育として聴覚障害の教育が始まったのは18世紀後半である。ドイツ人のザムエル・ハイニッケは口話法を体系化し、フランス人のド・レペは手話法を体系化し、19世紀を通して後者の手話法が広がった。
今日の言語聴覚士の業を支えるのは、音声言語医学と言語病理学であり、前者の源流は、言語中枢が発見され、咽頭鏡が発明された19世紀中葉のヨーロッパに発する。ヨーロッパでは、1924年に国際音声言語医学会(IALP)がオーストリアで発足し、医師や言語聴覚士が集い、今日まで続いている。1986年には東京で第20回大会が開催されている。ただし、ドイツでは医師のリーダーシップが強く、言語聴覚士の養成は専門学校での教育が主体であった。
他方で、イギリスでは、1944年にライオネル・ローグらによってカレッジ・オブ・スピーチ・セラピスツと称する言語聴覚士協会が発足するなど、独自の発展を見た。その一つは、認知心理学と神経心理学とが統合した認知神経心理学に理論的根拠を求めるアプローチであり、1984年に学術誌Cognitive Neuropsychology、1987年にAphasiologyが創刊されている。イギリスでは、学部課程と修士課程での養成コースが設けられている。
さらに、アメリカでは、ヨーロッパの学識を取り入れながらも独自の発達を見せた。IALPが発足した翌1925年には、言語病理学を専門とする医師やセラピスト、研究者からなる団体であるアメリカ言語聴覚協会(ASHA)の前身団体が誕生した。切替は、当時のアメリカの言語病理学の発展をこう記している。
(ドイツのような)医学的、生理学的な面だけでなく、社会医学的、心理学的、精神神経学的な要素が包含されたものとなり、人間をより社会的、人間的なものとして取り扱うようになっている。換言すれば、現実問題としての障害による不自由さを、どのように処理するかという治療の実践に重点が置かれるようになった。
こうしたアメリカでの発展の大きな契機となったのが、第二次世界大戦である。聴覚障害を引き起こした兵士たちのリハビリテーションが大きな問題となったのである。1万5千人の兵士が治療と訓練を受けることになり、言語病理学、耳鼻学、リハビリテーション技術等の専門家が担当した。そこで、これらの分野を総合するオーディオロジーが誕生し、その専門家であるオージオロジストが誕生したのである。
こうして、戦後、全米の主要な大学院にオーディオロジストの養成コースが設置され、教育機関にも配置されるようになった。1965年には、聴覚の専門家(オーディオロジスト、聴覚療法士)と言語病理の専門家(スピーチ・ランゲージ・パソロジスト、言語療法士)に資格が分かれたが、いずれも、やはり、修士号かそれと同程度の教育内容を修了することが資格基準となった。さらに、聴覚療法士については、2007年から博士号(Au.D.ないしPh.D.)の取得が求められるようになった。
日本の言語聴覚療法は、小児教育の分野で始まった。1878年、古河太四郎らにより京都盲唖院が開設し、日本初の聴覚障害教育が始まった。1880年に楽善会訓盲院が開設。言語障害については、伊沢修二が1903年に楽石社を開設し、視話法による吃音矯正を行った。
1926年には東京都内に最初の吃音学級、1934年には難聴学級が開設された。1953年には、千葉県の市川市立真間小学校に言語障害児と読書不振児を対象とした通級式治療教室が開設されている。その後、国立大学の教育学部に言語障害児教育教員養成課程、臨時養成課程、特殊教育特別専攻科の設置がなされ、これらの修了生が、全国の言語治療教室と難聴学級の教員や病院における言語聴覚領域の支援を行うスタッフとして活躍していた。
医学の世界では、ドイツ医学の導入により、1900年代頃から耳鼻咽喉科学会で失語症や吃音などに関する発表がなされるようになった。1929~31年に九州帝国大学と東京帝国大学で音声言語障害の専門外来が始まった。ただし、失語症など成人の言語障害については、リハビリテーションの導入が遅れ、1950年代以降に笹沼澄子をはじめとするアメリカで言語病理学の学位を取得してきた人びとによって、ようやく言語聴覚療法の臨床が始まった。具体的には、1958年に国立ろうあ者更生指導所(後の国立聴力言語障害センター、1979年に国立障害者リハビリテーションセンターに統合)が発足し、入所者の更生指導はもとより、一般外来において、聴覚、音声、言語障害のリハビリテーションを開始した。こうして、医療・福祉の分野での言語聴覚士の活動が始まることになったのである。
1960年に、世界保健機関(WHO)の短期顧問マーティン・フランクリン・パーマーが来日し、言語聴覚障害分野における指導者の養成はASHAの規定に準ずるべきであると勧告した。この勧告を受け、1963年、医療制度調査会が厚生大臣に対して、「リハビリテーションに従事する専門職種として、理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、言語士(ST)、聴能士(AT)、弱視訓練士(ORT)等があるが、これらの者については、教育、業務内容の確立等その制度化を早急に図る必要がある」ことを答申した。
この答申を受け、厚生省は高卒後3年の養成での国家資格法制化を提案したが、言語療法士については、大学院修士課程修了を求めるASHA基準とのずれが大きく、関連医学会を含む関係者の賛同が得られなかった。結果として、1965年に理学療法士と作業療法士の資格制度が先に成立した。これらの職種の業務は、「看護婦の独占業務である診療の補助を他の職種が行なってもよい」というかたちで、具体的には保健婦助産婦看護婦法の一部解除というかたちで立法化がなされた。
1965年、厚生省に「ORT、ST等身分制度研究会」が設置され、言語士(スピーチ・セラピスト、ST)と聴能士(オーディオロジスト、AT)に分けて検討され、1970年に意見書を提出した。そこでは、言語士・聴能士の職務は、従来の看護婦が担ってきた診療の補助にとどまるものではないとの認識に基づき、米国と同様に、養成は、4年制大学で大学院課程と連なる形で行い、医学的診療を補助する職種として位置づけないことが提案された。しかし、この意見書に沿った制度化が検討されることにはならなかった。
他方で、1968年、厚生省は、「聴能言語治療専門職員養成所設置委員会」を設置し、翌年、調査報告書が提出される。これを受けて、1971年、日本初のST養成校である国立聴力言語センター附属聴能言語専門職員養成所(現在の国立障害者リハビリテーションセンター学院)が設置される。大学卒1年でSTを養成する専門学校であり、意見書の内容に沿わないものであった。
さらに、1972年、参議院社会労働委員会でST身分法が討議され、厚生省が短大卒+2年の専門教育を提案したのに対して、日本音声言語医学会は、「言語治療士(仮称)の身分制度に関する要望書」を提出した。同要望書では、言語治療士を、「医療、社会福祉、教育の各分野にわたって、密接に関連しつつ働く独立した専門職に属すべきもの」と位置づけ、やはり、4年制大学で大学院課程と連なる形での養成を求めた。医療系と人文科学系、社会科学系の科目がバランスよく配置されたカリキュラムでの養成が必要であるとされたからである。他方で、日本耳鼻咽喉科学会は1975年に、「聴・平衡機能訓練士の身分制度に関する要望書」提出し、「医師の監督下で業務を行う」ことと、「高卒後3年か大卒後1年で養成する」ことを求めた。
1974年、聴覚言語障害に携わる者で聴覚言語懇話会が発足し(翌年、日本聴能言語士協会に改称)、STの4年制大学での養成による国家資格を目指して運動を開始した。初代会長には笹沼澄子が就いた。1977年には、日本学術会議が「リハビリテーションに関する教育・研究体制等についての勧告」を発表し、「言語療法士の資格制度を創設し、4年制総合大学において、大学院課程と連なる形で早急に実現すべきこと」としつつも、「現在のはなはだしい不足充足のため、暫定時に3年制短期大学の発足、聴能訓練士の養成等も考慮」との文言も盛り込まれた。
1979年、日本聴能言語士協会総会で「聴能言語士の資格制度案の骨子」が承認された。受験資格は「学校教育法に基づく4年制大学において、その課程を修了した者とする」とされた。そこで、協会執行部は医学会に働きかけ、日本耳鼻咽喉科学会、日本リハビリテーション医学会、日本音声言語医学会とともに、「ST身分制度合同委員会」を発足させる。1980年、厚生大臣宛に「言語聴覚士[ST](いずれも仮称) の資格制度制定に関するお願いの件」が、4団体名で提出される。1981年2月、厚生省で検討会が開催されるが、協会の主張する四年制大学案ではまとまらず、日本学術会議勧告を踏まえ、既存のリハビリテーション職と同様に、高卒3年の教育をベースにするという妥協案が浮上し、その業務も「医師の指示」とされた。
協会執行部は資格の実現が最優先と判断し、1981年3月15日、4月5日に臨時総会を招集し、妥協案の受け入れを提案した。しかし、会員の理解を得られず、「大学における3年以上の養成(医療短大以上)」という修正案を提案した。しかし、この修正案も、保証がないとして否決され、執行部は総辞職することになった。
協会の新会長には飯高京子が就いたものの、その後、協会内部では、国家資格制度の早期実現を目指すグループ(病院言語治療士連絡会)が活動を開始し、協会は事実上2つに分裂する。1985年に連絡会が「日本言語療法士協会」を創設し、「医師の指示下で業務を行う」、「養成は高卒後3年」とする医学会の路線に従った方針を決定した。他方で、厚生省もASHA副会長のモリス教授の憂慮をよそに専門学校認可を行った。1984年に福井医療技術専門学校言語聴覚学科(高卒以上)、名古屋福祉専門学校言語療法科(4大卒または医療資格取得者)、1985年に日本聴能言語福祉学院(4大卒または医療資格取得者)が認可された。
1987年1月、厚生省は3月の国会提出を目指して突如として新たな検討会を立ち上げるが、日本聴能言語士協会と、日本言語療法士協会、日本耳鼻咽喉科学会、日本リハビリテーション医学会の対立図式となる。その結果、「STは医師(歯科医師を除く)の指示の下に業務を行う」「養成は大学、高卒後3年の専門学校共に認める」などとする合意案が出されるも、今度はSTの職域が医療か教育かといった議論が起こり、国会提出は見送られた。
その後、日本の医療における言語聴覚療法の立ち遅れを問題視していた医学会側は、医療職としてのSTの資格制度の早期創設を目指して、1988年12月、日本医師会、日本歯科医師会を含む幅広い医学・歯科医学団体からなる医療言語聴覚士資格制度推進協議会を発足させる。この協議会には、日本言語療法士協会も加入した。
この頃になると、マスメディアでもSTの資格問題が大きく取り上げられるようになった。たとえば、『朝日新聞』1989年2月17日号の社説では、次のように論評された。「(前略)最も大切なのは実力のある人材を養成することだ。『頭数』だけを欧米並みにそろえればいいわけではない。スピーチセラピストは大変な創造性を要求される。なにしろ言語障害は百人百様だ。その一人一人の言語生活や心理状態に合わせて検査、訓練のプログラムを手作りしなければ効果が望めない。(中略)国民の信頼に答えられる、誇りのある専門職をつくり資格法が一日も早くつくられるよう期待する」。
ST業界内で意見の一致を見ないなか、医療言語聴覚士資格制度推進協議会では、高齢化社会を背景に、行政主導による資格化を目指すことになった。その結果、1996年に厚生省は「言語及び聴覚に障害を持つ者に対して訓練等の業務を行う者(いわゆるST)の資格化に関する懇談会」を設置した。懇談会で、日本言語療法士協会が資格制定の必要性を訴える一方で、日本聴能言語士協会は、医師による指示規定をSTの定義の条文から外
出典: 言語聴覚士 (CC BY-SA)
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