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四国地方
Shikoku Region
四国(しこく)は、日本列島を構成する島の一つである。
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四国地方
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四国(しこく)は、日本列島を構成する島の一つである。
四国(しこく)は、日本列島を構成する島の一つである。
北海道・本州・九州とともに主要4島の一つでもあり、この中では最も小さい。最高標高は石鎚山の1,982mで、福井・石川・岐阜県境の両白山地三ノ峰 (2128m) 以西の西日本では最も高い。面積は18,296.12km2で、世界の島の中では、ブラジルのバナナル島に次ぐ第50位の大きさである。
四国とその付随する島(小豆島、大三島、大島、中島、伯方島、豊島など)を合わせて「四国地方(しこくちほう)」と言う。これら付随する島を含めないことを強調したい場合、「四国本土(しこくほんど)」あるいは「四国島(しこくとう)」と呼ぶこともある(日本の地理・四国、日本の地域・四国地方も参照)。
四国には徳島県、香川県、愛媛県、高知県の4つの県があり、4県の総人口は約350万人(2025年時点)である。
四国の古代の呼称は、「伊予之二名島」・「伊予二名洲」(いよのふたなのしま)である。
四国地方を構成する4県の中で、徳島県・香川県・愛媛県は島内交流と合わせて、本州四国連絡橋(本四架橋)もあり本州との交流も盛んである。
西南部除く四国全域は近畿地方の影響力を文化的に強く受けているが、東部の徳島県は政治・経済においても影響が顕著である。北東部の香川県は文化・経済の両面で岡山県とのつながりも深いが、高松自動車道と神戸淡路鳴門自動車道の開通以降は徳島県同様近畿地方との交流もより活発になっている。西部の愛媛県は広島県や九州の大分県との交流が見られる。一方で高知県は陸路が険しく船での往来が発達した関係上、古くから上方、京都、近世は江戸からの影響も強く、政治・文化的な中央への意識が高いとも言われている。近年は高速道路網の発達により、四国内指向が強まっている。
空海が拓いた四国巡礼・八十八箇所はお遍路さんで有名。
日本の主要4島の中で、唯一政令指定都市が存在しない。
神々による日本の創造の過程を記した『古事記』の国産み神話では、四国は淡路島に続き、日本列島で二番目に創造された島であるという。古事記には「伊予之二名島(いよのふたなのしま)」と記されている。また『日本書紀』では「四国」を「伊予二名洲(いよのふたなのしま)」と表記している。よって古代においては、「伊予之二名島」・「伊予二名洲」、または単に、「伊予島」・「伊予洲」(いよのしま、いよしま)、「二名島」・「二名洲」(ふたなのしま、ふたなしま)」などと呼ばれた(「フタナ」は二並びの意)。
近世以降は、五畿七道の南海道のうち、紀伊国と淡路国を除いた阿波国・讃岐国・伊予国・土佐国の4つの令制国が存在したことから、「四国」と呼ばれた。歴史書ではないが、16世紀の戦国時代を描いた軍記物語として知られる『陰徳太平記』(享保2年(1717年)出版)序に、「山陰山陽四国九州」の記載があり、このような近世の書物において、明確に「四国」という名称を見出すことができる。
約1900万年前の日本列島の誕生に伴い、四国の前身が誕生した。瀬戸内海を挟んで、近畿地方・山陽地方・九州に三方を囲まれた位置にある。島の中部には、各県を分断するような形で四国山地や讃岐山脈の山々がそびえており、この地形が近年まで各地域間の交流を困難にしていた。
中央構造線が吉野川北岸から佐田岬半島にかけて東西に貫いている。構造線以北の内帯(西南日本内帯)に当たる地方では、中生層・古生層とこれを貫く火成岩が分布している。構造線以南の外帯(西南日本外帯)に当たる地方では、北側から南側にかけて中生層・古生層が形成された順に配列している。
日本の島の中では九州に次ぐ第4位、世界の島の中ではブラジルのバナナル島に次ぐ第50位の面積を持つ。最高標高は、石鎚山の天狗岳(愛媛県)の1,982 m。
地質学的には、四国は北からおもに三波川帯(ほぼ吉野川がある)、秩父帯(四国山地)、四万十層(四万十川)がほぼ東西に分布し、その間を中央構造線、御荷鉾構造線、仏像構造線が走っている。
瀬戸内海地方
徳島県の吉野川流域以北、香川県全域、愛媛県東予地方、中予地方の、瀬戸内海に面した北側は、瀬戸内海式気候に属している。太平洋高気圧に覆われる夏季には瀬戸内海沿岸特有の「凪」や、四国山地越えのフェーン現象に伴う気流の影響で、猛暑日や熱帯夜になる日も少なくない。春には中国大陸から流入する黄砂がしばしば観測される。
年間を通して比較的降水量が少ない(特に冬季はかなり降水量が少ない)温暖な気候であるため、オリーブやミカンの栽培が盛んである。その反面、大規模な河川は太平洋や紀伊水道に流れ込む形となっているため、水資源に恵まれず、過去幾度かの渇水に見舞われてきた。このため、満濃池を初めとするため池が多数造られている。その中でも特に、香川県は古来から水不足に悩まされ続けており、渇水対策として吉野川の水を送水するための香川用水が建設されている。冬は小雨や小雪(みぞれ)の降る日もあるが、基本的に晴天が多い。平野部では大雪になることはほとんどないが、山間部では気温が低く冬は積雪も多い。なお、台風等の直撃は比較的少ない。
太平洋側
徳島県のほとんどの地域や、愛媛県南予地方・高知県全域の太平洋に面した南側は、太平洋側気候に属している。春の訪れが早く本土で最初の桜の開花宣言が高知市または宇和島市となることも少なくない。そのため、特に高知県では促成栽培が盛んであったり、プロ野球チームのキャンプ地になったりと、温暖な気候を生かした産業や行事が発達している。また、太平洋沖合を流れる黒潮の影響を受けて冬でも温暖で、一部で無霜地帯が存在する。
年間雨量が多いことから林業も盛んである。また、愛媛県南予地方および高知県幡多地方では、冬は関門海峡からの季節風の影響で曇りや雨、雪の日が他の太平洋側の地域に比べると多くなっている。高知県の室戸岬と足摺岬では、台風が来襲しやすいことから「台風銀座」と呼ばれている。このため「室戸台風」などの大型台風が直撃し、洪水などの被害を受けている。なお「室戸台風」では、室戸岬上陸時の中心気圧は911.6hPaであり、日本本土に上陸した台風のなかで観測史上最も上陸時の中心気圧が低い台風だった。これは同緯度の台風における中心気圧の最低記録(台風の正式な統計は1951年(昭和26年)から開始されたため、この記録は参考記録扱い)として、いまだに破られていない。
四国は、畿内から南西側に位置しており、海路で移動するために、五畿七道では南紀や淡路島と一緒に南海道に含まれていた。近畿・九州航路の要所であった四国の西北部に位置する伊予国の道後温泉などは、舒明天皇や斉明天皇の入浴記録(日本書紀)があるほか、山部赤人・額田王の来浴記録(万葉集)もあるなど、古くから栄えていたと思われる。
平氏が都落ちした際、安徳天皇を擁して屋島を一時的な本拠地としたため、この地で源平両軍が争った。室町時代は細川氏が讃岐・阿波・土佐の三国を、河野氏が伊予をそれぞれ守護した。
戦国時代の四国の大名としては、三好を拠点とし阿波国から山城国にわたる8国を支配圏に収めた三好長慶、「土佐の小京都」とも呼ばれている中村を拠点とした土佐一条氏、伊予国道後の湯築城を本拠とした水軍を有する河野氏、讃岐の香川氏、土佐国の四国の覇者である長宗我部元親などが高名であるが、長い騒乱の末に収束に向かい、一時は長宗我部氏が四国を統一したものの、やがて豊臣秀吉により平定された。土佐の大名であった長宗我部盛親は関ヶ原の戦いで西軍につき改易された。
江戸時代になると、それまで四国各地を治めていた戦国大名は四国から駆逐され、幕府徳川氏の信任厚い諸将がこの地に封じられることになった。初め、讃岐に生駒氏、阿波に蜂須賀氏、土佐を山内氏と一国一円支配を許したが、のちに生駒氏が騒動を起こして改易されると讃岐は二分割統治された。伊予は初めから小大名が配置され、一国統治はされなかった。なお、瀬戸内海の小豆島と塩飽諸島は天領として倉敷代官所の支配下に置かれた。
四国の代表的な藩には、阿波国と淡路国を稲田氏の知行地とする蜂須賀氏の徳島藩、水戸徳川家の分家の高松藩、山内氏が治める土佐藩、加藤氏や久松松平家(親藩)などが領した伊予松山藩、仙台伊達氏の分家が治める宇和島藩などであった。
幕末維新において土佐藩が終始政局に関わり続け、土佐藩出身の坂本龍馬らの仲介で薩長同盟がなった。戊辰戦争においても土佐藩は官軍として各地を転戦し功を挙げた。明治期の自由民権運動も元土佐藩士板垣退助らが中心として起こった。それ以前に金陵会議(四国会議)が土佐藩から提唱され、四国をまとめ上げる力となったが、わずか数年で解散を命ぜられた。愛媛県から文豪・正岡子規が輩出され、明治文化に貢献した。
本州四国連絡橋の開通により、ついに本州と地続きとなった一方、少子化やJR四国の経営難が問題となっている。
歴史的には全県が畿内との繋がりの強い地域であったが、陸路交流の活発化と海路交流の衰退により徳島県は近畿地方と、香川県は岡山県と、愛媛県は広島県との経済活動も多くなっている。特に徳島県沿岸部は、日常的に京阪神との経済交流が盛んであり、影響が大きい。太平洋に面し三方を山に囲まれる高知県は特に対外的経済交流が活発な地域はなかった。
近年は高速道路網の整備により島内での交流が高知県を含め各県大幅に増加し、2010年現在では本州ではなく島内での経済的交流が最も盛んとなっている。
2017年(平成29年度)の四国四県の域内総生産は、名目で14兆5820億5000万円であり、全国の総生産(日本のGDP)に占める経済規模は2.60%だった。これを他の都道府県と比べると、茨城県(13.8兆円)より大きく、静岡県(17.3兆円)より小さい。また、1人当たり県民所得は四県全てにおいて日本の1人当たり平均所得を下回っていた。
四国瀬戸内海側は太平洋ベルト地帯に位置しており、坂出市・丸亀市・四国中央市・新居浜市・西条市・今治市および松山市などを中心に、瀬戸内工業地域が形成されている。徳島市と西条市は、新産業都市建設促進法に基づいて指定される新産業都市(工業開発の拠点地域)であった。
データ出典:第10表/都道府県, 年齢(5歳階級), 男女別人口-総人口(総務省統計局)
2010年国勢調査時の四国における自治体は95市町村であるが、そのうち2005年国勢調査と比べ人口が増加したのは8市町のみでそれ以外の87市町村は全て減少している。そのため四国全体はもとより、県単位でも4県全てで減少となっている。県別にみると最も減少率が高いのは高知県の▽4.00%で、以下、徳島県▽3.02%、愛媛県▽2.47%、香川県▽1.64%と続く。逆に、増加した自治体は香川県の3市町、徳島
出典: 四国 (CC BY-SA)
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